こんにちは!
花札が昔から大好きで、鹿が好きになってから、花札に鹿が書かれていることを思い出して、さらに好きになったライターのあかりんごです。
今回の記事では、花札に描かれている鹿とイノシシのことについて、現代のジビエブームに紐づく日本人と鹿・イノシシの関係について考えてみたいと思います。
後半では花札について少し考察できたらいいなと考えていますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
花札と関連が深い野生動物
花札はカードに描かれた絵柄を組み合わせて出来役を作るゲームです。
安土・桃山時代の「天正かるた」が元となり、江戸中期には現在の花札が生まれました。
この絵柄カードは12つに分類でき、それぞれに月々の風物が描かれています。
例えば1月なら松に鶴、3月なら桜に幕といった感じです。
札は月ごとに4枚、合計48枚のカードを使ってゲームを行います。
出来役とはカードの組み合わせのことで、例えば「すすきに月」のカードと「菊に盃」のカードを合わせると「月見で一杯」となりポイントが入ります。
また「萩に猪」、「紅葉に鹿」、「牡丹に蝶」を集めると猪鹿蝶となりポイントが入ります。
紅葉に鹿

花札の10月の絵柄に描かれているのが「紅葉に鹿」。
この絵札では、赤と黄色と黒の混じった紅葉とそっぽを向いた鹿が描かれています。
他人から無視されることをシカトと言いますが、これは花札が由来だとされています。
花札に描かれている鹿は無愛想にそっぽを向いているからです。
この鹿が描かれている絵札は10月であることから、「鹿10」→「シカト」が生まれたのです。
萩に猪

7月の絵札に描かれているのが「萩に猪」です。
小さな赤い実をたくさんつけた萩の上に、腰を下ろしているようなイノシシが印象的です。
イノシシは少し上を見上げるように鼻を高く上げており、人間のような目が描かれています。
縞模様が描かれているためウリボーかな?と思いましたが、体軸に対して垂直に模様が付いているのでそうではないようです。
江戸時代の方が捉えていたイノシシはこんな感じだったのかと思うと、何だか感慨深いものがあります。
当時の花見はヤマザクラが主流?
今ではすっかり主流になり全国に分布している桜、ソメイヨシノ。
実はこれは江戸時代中期から徐々に広まっていきます。
ソメイヨシノは花をつけると全てがピンク色になって美しい。
対してヤマザクラは葉をつけたまま桃色の花を開花させるのです。

ここで花札における「桜に幕」という絵札を見ると、桜の周りに葉がついていることが分かります。
よって、この時代の花見の対象はヤマザクラだったのです。
このように花札を考察するとその時代の様々な様子が分かります。
花札と鹿、イノシシの関係
鹿はが紅葉(10月)に描かれる理由
「紅葉に鹿」と聞くと、こちらの百人一首を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
奥山に もみじ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
訳:人里から離れた奥山で、散ってしまった紅葉を踏み分けながら雌鹿を求めて鳴く鹿の声を聞く時こそ、いよいよ秋は悲しいものだと感じられる。
猿丸太夫(5番)『古今集』秋上・215
オスの鹿はメスを求めて、高い声でキュイーンと鳴きます。
その声を聞くと秋はなんとも悲しい気持ちになるという歌です。
このように鹿と紅葉の組み合わせは様々なところで見られるのですが、もう一つ「三作伝説」というお話があります。
このお話はこのようなエピソードです。
江戸時代、奈良の寺子屋で習字を習っていた三作。 そこへやってきた鹿は縁側に上がり込み、書道道具を加えて持ち去ろうとします。 三作はそれを阻止しようと文鎮を鹿に投げつけますが、打ち所が悪くて鹿は死んでしまったのです。 当時、奈良の鹿は神鹿(しんろく)として大切に保護されていました。 奈良公園にある春日大社の社伝「古社記」では、 祭神のタケミカヅチノミコトが鹿島神社から神鹿に乗ってやってきたとされています。 これにより、奈良公園周辺では鹿は神からの使いとして保護されてきました。 よって鹿を殺してしまうと厳しい処罰を下されました。 三作はまだまだ小さな子供でしたが神鹿を殺した罪は免れず、石子詰めという刑に処されてしまいます。 石子詰めとは、生きたまま埋められるという罰です。 母親はせめてもの弔いにと、三作が埋められた所に紅葉を植えました。
これが元禄時代に近松門左衛門によって浄瑠璃「十三鐘」として発表されます。 こうして三作は伝説になったわけです。
このエピソードで鹿を殺した三作が罰せられ、その上に紅葉を植えたことから「鹿に紅葉」が生まれたのではないかと言われています。
このように昔から鹿と紅葉は文学的な題材として多く扱われていたのです。
イノシシが萩(7月)に描かれる理由
萩は『万葉集』でも多く詠まれており、古くから日本人に親しまれてきました。
萩の花は昔から、臥す(ふす)猪の床と呼ばれていました。
これはイノシシの寝床という意味で、萩という小さく可憐な花とイノシシの力強さの対照美が描かれています。
なぜ10月は鹿で、7月はイノシシなのか
歴史的な背景は、以上のような話が有力ではあるのですが、
ここからは私が花札に描かれる鹿は10月で、イノシシは7月なのかについて考察していきたいと思います。
ジビエ(鹿・イノシシ)の旬
そもそも、花札はその植物や動物の旬を表していると言われています。
しかし、鹿やイノシシは、現代で言われているところの旬とは別の季節になっているのです。
例えば、鹿肉の旬は初夏(5月ごろ)と言われています。
その理由は、鹿の餌となる木々の若芽が豊富に生えそろうからです。
木の芽の成長点は鹿にとっての栄養をたくさん含んでおり、それを食べた鹿は肉質が良くなる(脂肪もつく)のです。
また一方で、イノシシの旬は冬(1月ごろ)と言われています。
イノシシの大好物は木の実であり、栗や椎の実などが豊富な秋に肉質が良くなるのです。
またイノシシは冬に備えて脂肪を蓄えるため、冬のイノシシは脂のりが良く美味しいと言われています。
旬と真逆の月に描かれた鹿とイノシシ
さて、花札では肉が美味しくなる旬とは反対の月の絵札に、それぞれの動物が描かれているのです。
上記の歴史的背景はもちろん否定はしませんが、もう一つの考えとして、私は鹿肉やイノシシ肉を食べていないことを示すために、これらの月に配置したのではないか?と考えています。
今では肉食は当たり前ですが、675年に天武天皇が発令した「肉食禁止令」から江戸時代が終わるまで、日本では肉食が禁忌とされていました。
特に江戸時代は5代将軍の徳川綱吉による「生類憐みの令」により食肉禁忌が強化された時期でもありました。
しかしいつの時代も肉を食べたいという欲求は強く、武家や公家は肉を薬だと言い張って建前上は法令を守りつつ食べていたそうです。

こういった背景から、この時代に生まれた花札についても肉食を連想させないように鹿やイノシシを描く必要があったと考えられます。
よって、肉の旬とは真逆の月に鹿とイノシシを描いたとも言えるのではないでしょうか?
まとめ
- 花札ではイノシシが7月、鹿が10月の絵札に描かれている。
- 鹿はそっぽを向いた様子が描かれている(シカトの語源)
- イノシシには可憐な萩を合わせることで対照美を演出。
- 鹿と紅葉は浄瑠璃や和歌など文学的な題材として取り上げられてきた。
- 花札が生まれた時代の背景には食肉禁止令があった。
今では動物というと犬や猫、牛やヤギなどを想像しますが、江戸時代に花札を作った方は野生動物を描きました。
それだけその時代の人々にとって鹿とイノシシは身近な存在だったのではないでしょうか?
今や、ジビエと言えば少し特別な存在のように感じますが、当時の人たちのとっては、その肉は少しの贅沢の際に食べる食材であり、信仰の対象でもあったのです。
このように、ジビエ(それに関係すること)を歴史的な背景から考えてみると、現代のジビエの普及や文化についても参考になるのではないでしょうか!
花札は、ネットでも簡単に買えますので、この記事を読んでやってみたいと思った方は、ぜひやってみてくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました!