こんにちは!
鹿に魅せられて大学でサークルを立ち上げてしまった、あかりんご(@akaringo252588)です!
鹿は縄文時代から、日本人とともにありました。
なので、日本には鹿にまつわる様々な文化が残っています。
そこで今回は、現代も続く鹿との関わりということで、鹿に関する地名や文化などをまとめていきたいと思います!
- シシ:古くからの日本語で、食肉を意味する言葉。
- 奈良公園:660haの広大な面積を持ち、春日大社や興福寺、東大寺などを含む。
鹿がつく地名はなんと573個も!
それではまず、鹿という字がつく地名を見ていきましょう。
実は鹿というがつく地名は573個あります。
他の動物を見ても牛は458個、犬は145個、猪は166個ということで、鹿という字がつく地名は多いことが分かります。
ちなみに最も多く地名に含まれている漢字は馬でした。
それでは早速どういった地名があるのかを具体的に見ていきましょう。
鹿児島県
なんと言っても、鹿がつく地名で一番有名なのは鹿児島県。
鹿児島はぐるっと円を描いたような地形で、その中心には桜島が浮かんでいます。
実は、この桜島のことを古くは鹿児島と呼んでいたそうです。
これは桜島が薩摩や大隅半島に囲(カコ)まれているから、鹿と児という字をあてたと言われています。
しかし鹿児島の名前の由来にも諸説あり、他には野生の鹿が多く生息していたから、火山を意味する言葉から来ている、などがあります。
しかし鹿児島の名前の由来にも諸説あり、他には野生の鹿が多く生息していたから、火山を意味する言葉から来ている、などがあります。
狩鹿野
それではここからは、全国各地の地名を紹介していきます。
難しい読み方もあるので、「なんて読むのかな?」と考えながら見ていただけると嬉しいです。
こちらは石川県のかほく市にある地名です。
「かるがの」と読み、まさしく鹿を狩るための野だったのでしょう。
鎌倉時代の日本では、武士が武道の練習として狩猟を好んでいました。
しかも武士にとって狩猟は、武道の練習だけでなく、自分たちの力を大衆に見せつける手段でもあったのです。
その証拠に源頼朝は富士山麓で大規模な巻狩りを行い公家たちを震撼させ、政治の主導権を握ったとも言われています。
そういった点では、鹿を狩るための野はそのまま地名になるほど重要な存在だったのかもしれませんね。
そのままやないか!
狩留家
こちらは「かるが」と読み、広島県にある地名です。
実はこの地の近くには武家が狩猟をする場として管理していた猟場があり、その近くに宿舎も多くできたそうです。
このことから、狩りをするために留まる家として、狩留家と名付けられたと言われています。
これも武家と狩猟の関係が地名に表れていて、とても興味深いですね。
鹿折川
鹿がつくこちらの川は、宮城県気仙沼市を流れる川です。
こちらはなんと、「ししおりがわ」と読みます。
鹿を「しし」と読むのは少し変わっていますね。
実は昔、イノシシは「ゐのシシ」、鹿は「かのシシ」と呼ばれていました。
「シシ」とは古くからの日本語で、食肉を意味する言葉だったのです。
当時、肉として食べていたのは鹿やイノシシだったので、鹿と書いてシシと読むようになったのかもしれませんね。
鹿に関わる伝統行事のまとめ
それでは次に、鹿に関わる伝統行事について見ていきましょう。
鹿は昔から神様の乗り物として捉えられてきたため、神聖な行事などに登場することが多々あるのです。
今回はそんな行事の中でも、3つご紹介します。
鹿踊り
鹿踊りは、岩手県や青森県、宮城県などで300年受け継がれてきた伝統舞踊です。
悪魔払いや豊作を願ってお盆や彼岸の秋祭りなどで行われてきました。
鹿踊りは衣装が特徴的です。
獅子舞から影響を受けた鹿のお面は厳かな顔つきで、頭には竹で作られた「やなぎ」というものを付けます。
この「やなぎ」は数メートルあり、これを天に向かって頭に差すのです。
空に向かってピンと伸びる「やなぎ」には神様が降りてくる依り代の役割があります。
この衣装を身に付けた踊り子は腰につけた太鼓を鳴らし、歌を歌いながら踊るのです。
鹿の角切り
これは奈良公園と金華山黄金山神社で行われる伝統行事です。
主に10月に行われ、勢子によって追われたオス鹿を捕まえ、その角を切り落とすという行事になっています。
この時期の鹿角には神経や血管は通っていないので、出血や痛みはありません。
それでは、なぜこの鹿の角切りが行われるようになったのでしょう?
それは江戸時代に遡ります。
この時代、奈良へお参りに行くというのがブームになっており、奈良公園では参拝客が増えました。
ですが秋になると繁殖期で興奮しがちな鹿は、近付いてきた人に対して立派な角を突きつけて怪我をさせてしまうという事件が多発したのです。
これをきっかけに、1671年に鹿の角切りという行事が始まったのです。
初めは怪我防止のために始められたこのイベントは観光客に人気となり、今では秋の行事の一環としてとても人気のあるイベントになっています。
鹿寄せ
鹿寄せとはその名の通り、鹿をホルンの音色で呼び寄せる行事です。
一年を通して行われています。
これは鹿の角切りよりも遅い1892年に奈良公園で始まりました。
この鹿寄せでは観光客に対して鹿と奈良公園の歴史、鹿の生態などが伝えられます。
こちらは観光客が楽しむためのイベントであり、鹿に餌付けをしているという訳ではないそうです。
鹿に関わる短歌、絵画、音楽
それでは次に、鹿に関わる芸術について紹介したいと思います。
短歌に詠まれるのは鹿の声がほとんど
5・7・5・7・7で表現する短歌。
これらを集めた歌集の中でも、現存する最も古いものが『万葉集』です。
万葉集に詠み込まれている動物は多数あり、最も多いのが鳥の名前。
そしてその次に多いのが馬、その次が鹿になります。
イノシシ、犬、牛などを差し置いて、鹿が詠まれていたのは少し意外に思われるかもしれません。
鹿が詠まれている短歌で有名なのは、こちらの歌。
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
訳:人里離れた奥山で、散った紅葉を踏み分けながらメス鹿を呼んでいる声を貴では時こそ、いよいよ秋は悲しく感じられる。
猿丸太夫(5番)『古今集』秋上・215
百人一首の句としても起用されているこの歌は、鹿の声を聞いて恋人を想う気持ちを重ねているのでしょうか。
このように鹿の声と恋心を掛け合わせて詠む歌は多く、その他には狩猟対象として詠み込まれることが多くなっています。
鹿の絵画や彫刻には神々しい神の姿が
絵画や彫刻では、鹿が神々しく描かれているものが目立ちます。
その一例は、京都国立博物館にある「神鹿」という彫刻です。
鎌倉時代に木で作られたこの作品は、重要文化財に指定されています。
これは2頭の鹿が座った状態で片方が口をつぐみ、片方が遠鳴きしている様子を表しています。
これは阿吽を意味し、春日大社では狛犬の代わりに置かれたものだと考えられています。
尺八で表される鹿の鳴き声
尺八とは竹でできた笛のことです。
尺八の演目の一つである「鹿の遠音」は山に響く鹿の鳴き声をモチーフとしており、メス鹿とオス鹿が交互に鳴き交わす様子が描かれています。
江戸時代にできたと言われるこの尺八の演目でも、鹿の求愛行動が表現されているのです。
- 鹿がついている地名には、武家が行っていた狩猟が深く関わっている。
- 鹿踊りは現代に受け継がれる伝統舞踊。
- 鹿の角切りや鹿寄せは奈良公園で行われてきた。
- 短歌には鹿の鳴き声、絵画や彫刻には神の使いとしての鹿が表現されていることが多い。
鹿と日本人の歴史は奥深い…
いかがでしたか?
地名などに鹿が多く表れているということは、鹿が日本人にとってそれほど身近な存在だったのではないでしょうか?
鹿がついた地名が東から西まで全国的に見られることからも、局地的なものではなく鹿が広く愛されてきたと考えられます。
宗教の信仰対象として、一方では狩猟の対象として。
このように鹿を多様に捉えてきた日本人の歴史が、地名から読み取れます。
皆さんも、鹿が関係する地名や文化を見つけたらどういった由来からそれが生まれたのかを想像してみてくださいね!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!