ーこれは、あかりんご(@akaringo252588)という1人の女子大生が、1匹の鹿を獲るまでの物語であるー
学祭の出店までに安全であることではなく、安全だという認識を広めることも重要であると気付いたあかりんご。そんなあかりんごは、学祭出店に向けて動き始める…。
8-1
- 硬そう
- 臭そう
- 変な菌持ってそう
私は一般的な人が鹿肉に持っている偏見を書き出してみました。
その日は狩猟Pのミーティングをしており、学祭に向けてしなければいけないことなどを考えていたのです。
「硬そうと臭そうっていう偏見は、食べてもらわんとひっくり返らんですよね」
狩猟Pのメンバーが言い、私たちは頷きました。
「ただそのハードルを低くすることもできると思う。
例えば、味付けにちょっと味の濃いソースを用意するとか。」
なるほど、と私は思いました。
私たちは鹿の風味を味わってもらいたいと思い、鹿カツの味付けはバジルソルトだけを考えていたのですが、ソースを用意するのもアリです。
「めっちゃ良いやん!
じゃあ、前回のマルシェ同様に備品リストとかの作成はお願いします!」
初めての学祭出店であたふたすることもありましたが、私たちは何とか一つずつクリアしていきました。
学祭の看板作りや整理券作り、大量の鹿肉の注文など、学祭ならではの準備を着々と進めていきました。
そして私は、最も大きな壁をどう突破するかに頭を悩ませていました。
それは学祭での店番シフトです。
学祭は多くのお客さんが来るため、狩猟P以外にもメンバーを募ってお手伝いしてもらうことになっていました。
しかし多くのメンバーで出店を回していくということは、それだけ食中毒のリスクも高まると考えていたのです。
大切なのは手伝ってもらうメンバー全員が、衛生についての正しい知識を得ることだと考えた私は衛生管理説明会を開くことにしました。
それは、学祭でシフトに入っているメンバー全員に作業工程や正しい手洗いについて説明する会です。
例えお金をやり取りする会計という役割であっても、トラブルがあり違う作業に配属されることもあります。
作業場に入る全ての人に鹿肉を扱う時に注意する点などを徹底的に説明しました。
そして私は、安全であることの他に、安全であるという認識を広めることも大切だと出店の際に痛感していました。
なので狩猟P独自のSNSを立ち上げ、狩猟Pが安全のために行っている活動について発信していきました。
夢中になって取り組んでいく中で、時間はどんどん過ぎていきます。
そして夜道が肌寒くなって来た11月、ついに学祭当日がやって来ました。
8-2
戦いの朝はいつも静かです。
始発に近いガラガラの電車の中で、私は擦り切れるほど読んだ当日の段取りをもう一度確認しました。
意外なくらい気持ちは落ち着いています。
とりあえず食中毒だけは出さないように…と念じた後、重たいキャリーバックを引いて私は学祭会場へ向かいました。
テントだけが立っている私たちの区画に、狩猟Pのメンバーが集まりました。
まるまるしぇの事もあるのか、メンバーには不安とリベンジの表情が読み取れました。
私は焦る気持ちを抑え、落ち着いた口調で言いました。
「ほな、やろか」
何もなかった机やコンロが運び込まれます。
机が用意できたら、鹿肉調理班はポリ手袋をつけてササっと鹿肉を調理し始めます。
春は鹿肉ブロックをチョンチョンとつついていた狩猟Pのメンバー。
今では何のためらいもなくシュッ、シュッと包丁を入れています。
「鹿肉触ってるとポリ手袋ズレてくるから、輪ゴム持って来たんよ!」
「ここ、筋多いから多めにトリミングして賄いにしよか。」
頼もしくなったな、と微笑ましくその様子を横目で見ながら、私はレイアウトや揚げ調理場の整頓などを指示しました。
ほとんど時間通りに、1回目の仕込みは終わりました。
できるだけ新鮮な状態で提供するため、鹿肉の仕込みは小分けで行うことにしていたのです。
さて…私の出番か…
私はエプロンを身に付けてフライパンの前に立ちました。
加熱調理は責任を持って私が行うことにしていたのです。
時計は10時の針を指していて、学祭会場にはまばらにお客さんが来ていました。
「ほな、揚げ始めます…!」
2度目の正直、狩猟Pの出店が幕を開けました。
8-3
「13番の整理券をお持ちの方はいらっしゃいますか〜!?」
商品を渡す係の声が、学祭に流れる軽快な音楽の中で響き渡ります。
10時の開店から客足が途切れることはなく、鹿カツは言葉の通り大行列ができていました。
小分けに仕込みをする…などと言っていられないほど、店舗には長蛇の列ができており、その列がまた人を呼び寄せました。
若い人の方が鹿カツを受け入れやすいのではないかという私の予想は見事に当たったようでした。
味付けにバジルソルトだけでなくソースも用意したことも、ハードルを下げるという点では功を奏しました。
私は右から鹿カツを油に入れ、カラカラと音を立てて揚がるカツを左の網に上げる作業を淡々と繰り返します。
首を少し左に向けてお客さんの様子を見ると、ほくほくの鹿肉を頬張り頷くお客さんが見えます。
「全然臭くないな」
そう言い合う若者や高齢の方もいました。
そんな声を聞くと、私の中でどんどんエネルギーが湧いて来て鹿カツを揚げる手は止まりませんでした。
案の定、鹿カツはあっという間に完売しました。
出店終了の1時間前。
片付けを始めた私たちは、優越感に浸りながら心地いい疲労感を噛み締めていました。
学祭は2日に渡って行われますが、1日目で噂となっていた鹿カツは2日目も早い時間に完売し、売り上げ本数は約750本を記録しました。
食中毒が起こる事もなく、無事成功した学祭。
私は帰り道、キャリーバックをヨイッと持ち上げ電車に乗り込みます。
端に座った私は疲れに疲れていて、今にも寝落ちしてしまいそうな朦朧(もうろう)とした意識の中ある言葉を書き留めました。
それを書いた後、私の頭には走馬灯のように学祭の記憶が巡っていました。
出店に反対され悔しさのあまり涙した夜、保健所の前で足がすくんだ事、皆で準備を頑張った事、美味しいと頷くお客さん…。
眠りに落ち、だらんと落ちた手に握られていたメモには、こう書いてありました。
『鹿肉には、まだまだ可能性がある』
ーまだ、鹿は獲れていないー