ーこれは、あかりんご(@akaringo252588)という1人の女子大生が、1匹の鹿を獲るまでの物語であるー
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「何てかっこいいお肉なんだ!!」
私が鹿肉という存在を知った当時、この数年後に鹿を獲ることになるとは、夢にも思っていませんでした。
私は、神戸の大学に通う普通の女子大生。
都会生まれ都会育ちでスーパーは徒歩5分、中学校に至っては走って30秒という、いわゆる都市のベッドタウンで育ちました。
大学ではもともと興味のあった牛を勉強したくて、農学部の畜産コースへ入学。
毎朝1時間半、満員の通勤電車にヘトヘトになりながら大学の最寄駅に着き、そこからは30分坂道を登って学校へ通います。
田舎で農業がしてみたい!
と思っていたこともあり、農業サークルに所属していた私。
その他にダンスや軽音などにも手を出しましたが、どれも続かず。
やっぱり一番好きなのは農家さんと話すことでした。
週末になると電車で兵庫県の丹波篠山へ向かい、農業ボランティアをして農家さんと和気藹々。
こうしてほのぼのと、大学生活をエンジョイして、就活して、どこかの企業に入って仕事をするのだろうなと思っていました。
そんな秋のある日、ある農家さんのボランティアに行った時のことです。
「やられとんなぁ!イノシシかこれ!」
農家さんの目線の先には、稲がズタズタになぎ倒されている田んぼがありました。
「えっ!これどうするんですか!?」
農家さんに尋ねました。
「こうなってしまえば機械は入られへんから、手で刈るか…田んぼ捨てるかやなぁ。」
私はその時、イノシシに入られた農家さんの気持ちになって考えてみました。
出てきた感情は怒りでした。
「こういう事を防ぐには、どうしたらいいんですか?」
私が農家さんに聞くと、その農家さんは笑って答えました。
「獲ったらええねん」
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私はそれから、狩猟というものに興味を持ち始めました。
農家さんの笑顔を守りたい!
初めはヒーロー戦隊が言っていそうな事を考えていました。
しかし狩猟やジビエを勉強していく上で、次第に狩猟そのものに興味を持っていきます。
何よりも興味を持ったのが、鹿肉の生産過程。
私は牛が好きという理由から農学部の畜産コースで勉強していました。
当時の私の頭の中では、肉=家畜という方程式で固まっていたのです。
畜産は餌を農地で作ってそれを与え、お肉やお乳を取るという生産方式。
そしてできるだけたくさん、効率的に畜産物を手に入れるために必要なのがエネルギーの高い濃厚飼料というものです。
しかし日本では濃厚飼料の原料となるトウモロコシや大豆はあまり生産されておらず、そのほとんどが輸入に頼っています。
実のところ私は、この構造に少し不安を抱いていました。
もし今の輸入先が、もう濃厚飼料を売ってくれなくなったら日本のお肉や牛乳はどうなるんだろう?
そんな漠然な不安を抱えていた時、鹿肉やイノシシ肉といった野生獣肉であれば、農地もいらないし飼育スペースもいらないのではないかと考えたのです。
畜産は生産過程に人間の手をかけて、効率的に畜産物を生産する産業。
それに対して、狩猟は最も粗放的でコストの低い、しかも日本で持続可能なお肉じゃないか!
ガリ勉だった私は心の中で叫びました。
「何てかっこいいお肉なんだ!!」
こんなかっこいいお肉を自分の手で獲ってみたいと思い至るまでに、そう時間はかかりませんでした。
自分の手で獲った肉は、どんな味がするんだろう。
そしてその時、私はどんな気持ちになるのだろう。
やってみたい!やるぞ!
一瞬だけ、狩猟の事を教えてくれた農家さんのことが頭をよぎりました。
しかし私は、農家さんに猟師になってみたいという事をあえて言いませんでした。
動物を獲るというゴールに向かうまでに、私なりの手順を踏みたいと、強く思ったから…
0-3
一般的には狩猟がしたいと言うと、狩猟免許を取れば?という話になります。
でも私は、そうではないと思うのです。
もし鹿を1頭獲ったとして、そこからどうするのか。
自分は果たして美味しくそれを食べることができるのか。
獲って終わりでは無く、きちんと利用方法を身に付けてから鹿一頭と向き合いたいという思いが私にはあります。
皮は?骨はどうするの?捨てるの?
そんな自問自答を繰り返し、私は一つのロードマップ(マル秘)を完成させました。
狩猟が川上(カワカミ)だとすると、お肉を食べたり皮を利用するのは川下(カワシモ)。
上から河口に向かって流れる土台を作らなければ、川上から水を流しても流れは滞ってしまいます。
全ての土台をチェックして、できると確信してから獲る。
これが私の流儀です。
まずは鹿肉を使って料理を習得することが必要です。
調理が難しいと言われる鹿肉。
まずは自分の手で美味しいものが作れるようにならなければ、1頭の1/3を占める肉を上手く利用することはできません。
次に、角の利用です。
もし捕獲した鹿がオスであれば、角が生えているかもしれません。
そのまま飾るのも乙なものですが、できれば加工して身に付けたい。
そのために鹿角を切ったり削ったりする技術が必要です。
最後に、皮の利用。
全ての鹿を解体する過程で必ず出るのが、鹿の皮です。
これも自分でなめして、全て活用したい。
そして川下のその先、河口の部分では、実際に自分の手で鹿肉料理を販売するという経験もしてみたいと思っています。
自分の獲ったお肉をそれまでの過程をとともに、共感してくれるお客さんと楽しむ。
そんな理想像があるので、ジビエ料理や皮の利用などができるようになれば、実際に料理をマルシェや学祭などで販売してみたい。
ここまでできたら、次は食肉加工場の方とコンタクトを取ります。
食肉加工場は、川の流れで言うところの中流です。
もし自分が鹿を獲って、販売できるようなお肉にしたい!と思った時にはどのような過程を経てお肉になっていくのかを勉強したいと思います。
そしてお肉になるまでにどういった部位が捨てられているのかもしっかり確認して、自分が捕獲するまでに使い道を模索できれば最高です。
さて、中流の次はいよいよ上流。
狩猟の世界へ入っていきます。
ここでは、狩猟免許を取るための準備を踏みます。
罠猟の免許取得は難しくないようですが、実際に獲るのは至難の技!
なので、まずは猟師さんとコンタクトを取り、山に一緒に入ったり罠を自作したりしようと考えています。
罠作りも奥が深いようで、自分なりの罠を作るために試行錯誤する過程は楽しみです。
そして猟師さんにお願いし、捕獲のお手伝いをさせていただこうとも思っています。
捕獲とはすなわち、鹿の命を奪うこと。
この繊細な命題には、狩猟免許を取って猟師になる前に向き合い、自分なりの答えを出すべきだと思っています。
直接的な表現で恐縮ですが、的確に命を奪う方法も身に付けたい。
この点は猟師になってから経験を積めばいいとも思うのですが、私が初めてでも鹿からするとそれは一生の最期。
絶対に苦しませたくないし、失敗は許されない。
そこに練習なんてないと思うのです。
この過程を全て踏んで、私は自分に問いかけようと思います。
「どう?本当に自分は、鹿を獲りたい?」
自分の手で命を奪うことは、責任と覚悟が付き纏います。
そこには可哀想という人間上位の感情など無く、ただ命と命の繋がりがあり、それは孤独で重たいものでもあるでしょう。
それでもなお、自分は鹿が獲りたいのか。
そこで首を縦に振れば、あとは獲る。
私は慎重すぎるとも言えるこの過程を踏んでから、答えを出したい。
そう思っています。
都会生まれ、都会育ちの私が、鹿を取るまで。
ーまだ、鹿は獲れていないー