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「紅葉(もみじ)」は鹿、「牡丹(ぼたん)」はイノシシ?隠語とその命名の背景を解説!

こんにちは!

ジビエの歴史を調べていると、日本人と鹿やイノシシなどの野生動物はとても長い歴史で繋がってきたことを知って、感動しまくっている、
ライターのあかりんごです。

さて、今回は、紅葉(もみじ)や牡丹(ぼたん)など昔から隠語として用いられてきた言葉について紹介したいと思います!

今では、当たり前のように使われているこれらの言葉ですが、なぜこのような名前を使うようになったのか?疑問ですよね??

なので、今回は、そんな隠語が生まれる背景となった歴史的な背景などについてご紹介したいと思います。

記事をお読みいただく皆様へ、

  • どうして隠語を使わなければならなかったのか?
  • なぜ「紅葉」や「牡丹」だったのか?

について、知ってもらえる機会となれば幸いです。

鹿肉は紅葉(もみじ)、イノシシ肉は牡丹(ぼたん)

前提として、皆さんは鹿肉やイノシシ肉に隠語があることはご存知ですか?

イノシシや鹿に限らず、馬肉にも桜という別名があります

このように日本では古くから食肉の別名があり、今でも「ぼたん鍋」といった料理名にもその文化が残っています。

植物や花の名前に例える場合が一般的ですが、イノシシは牡丹の他にも山鯨(やまくじら)という別名も持っています。

なぜイノシシと呼ばず、牡丹山の鯨のようにわかりにくい名前で読んでいたのでしょうか?

隠語を生んだ日本の歴史

歴史の流れより、隠語が生まれた背景について、説明していこうと思います。

結論からいいますと、
直接的な原因は江戸時代に発令された法令にありますが、せっかくなので日本人はお肉とどう付き合ってきたかをザックリと説明していきます。

狩猟採取時代

もともと日本では縄文時代から弥生時代にかけては自然物の採取が主な食糧確保の手段でした。

その頃の日本列島では、温暖な気候へと変化したことからマンモスやバイソンなどの大型動物が絶滅し、鹿やイノシシなどの中型生物が大繁殖します。

それはドングリをつける木が増えたことが原因として考えられています。

ドングリは鹿やイノシシにとって重要な餌となるからです。

よって、縄文人は鹿やイノシシを狩猟対象にしていたようです。

その証拠に、貝塚の調査ではこの時代に出土する動物骨の90%が鹿とイノシシのものという結果が出ています。

このように日本人は鹿とイノシシ、加えて鳥類などを貴重なタンパク源として日常的に食べていたと考えられています。

食肉禁止令の制定

縄文時代以降は野生動物に加えて家畜として飼われていた牛、馬、鶏を食べる文化が広がっていきます。

しかし、このような肉食文化はある法令をきっかけに一変します。

その法令こそが、675年に天武天皇が発令した「肉食禁止令」でした。

この法令が出された背景としては、聖徳太子の「憲法十七条」が挙げられます。

「憲法十七条」の制定によって事実上、仏教が国教となりました。

仏教の考え方の一つに不殺生というものがあり、生きているものを殺すと必ず仏から罰を受けると考えられていたのです。

ただ、当時仏教はまだ庶民にまで浸透しておらず貴族階級の間でのみ実践されていました。

よって庶民は依然として肉を食べ続けたため、その後も聖武天皇や桓武天皇など数々の天皇が殺生禁断の布令を繰り返し出しています。

ちなみに、ここで禁止されたのは牛、馬、サル、犬、鶏です。

あれ?鹿とイノシシが入っていませんね。

そうです。
元々、主肉として食べられていた、鹿やイノシシについては、禁令外であったため、禁止されることはありませんでした。

ご馳走だった鹿肉料理

平安時代になると、貴族の間で唐の食文化を真似するようになりました。

当時の神社や各国の特産物などをまとめた『延喜式』という書物では、鹿やイノシシなどを全国から集めているといった記述があります。

また、天皇の長寿のために1月に行われていた歯固の膳には、猪宍1杯と鹿宍1杯が必ず用意されました。
(※猪宍・鹿宍はイノシシの肉・鹿の肉の意味)

このように鹿やイノシシの肉は、天皇や貴人のご馳走として扱われていました。

この時代にできた大饗料理(だいきょうりょうり)は、現在の和食にも通じています。

武士が好んだ山の幸

鎌倉時代に入り、武士は武道の練習として狩猟を好みます。

それに伴い、武士たちは狩猟で得た肉を食べて健康的な生活を送っていました。

この頃、武士にとって狩猟は自分たちの力を大衆に見せつける手段でもありました。

その証拠に源頼朝は富士山麓で大規模な巻狩りを行い公家たちを震撼させ、政治の主導権を握ったとも言われています。

「生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)」

江戸時代になり5代将軍の徳川綱吉は「生類憐みの令」を発令します。

これによりさらに殺生が厳しく禁止されました。

しかし、実際には、建前上のこととなりシカ肉は盛んに食べられました。

庶民は宗教には無頓着な様子で肉を食べたそうです。

そして武家や公家は肉を薬だと言い張り、建前上は宗教を守っているように見せていました。

このような、くすり喰いと呼ばれる行為は、オランダ医学に影響を受けたと考えられます。

当時日本に輸入されたオランダ医学から、獣肉を食べていないから日本人は虚弱なのだという認識が広まったのです。

こうして江戸の町では「ももんじ屋」という肉屋が「紅葉」という隠語で公然と売られるようになりました。

江戸中期の儒学者である荻生徂徠が残した記述にこのようなものがあります。

吾邦(わがくに)似て大牢(たいろう)といへるは、大鹿、子鹿、猪なり。

(訳:我が国における立派なご馳走とは、大きい鹿、子供の鹿、そしてイノシシである。)

このように、江戸町民が大好きだった食べ物は鹿肉と猪肉だったと言われています。

ちなみに、当時、鹿肉はすき焼き風の鍋料理が人気だったそうですね。

なぜ紅葉(もみじ)と牡丹(ぼたん)だったのか?

ではなぜ鹿は紅葉(もみじ)、イノシシは牡丹(ぼたん)なのでしょう?

諸説ありますが、今回はその中でも私が有力だと考えている一説をご紹介したいと思います。

鹿と紅葉(もみじ)

鹿が紅葉と呼ばれるようになったのは、花札が由来だとされています。

花札は安土・桃山時代の「天正かるた」が元となり、江戸中期には現在の花札が生まれました。

花札はカードに描かれた絵柄を組み合わせて出来役を作るゲームです。

この絵柄カードは12つに分類でき、それぞれ一年を構成する月々の風物が描かれています。

例えば1月なら松に鶴、3月なら桜に幕といった感じです。

そして花札の10月の絵柄に描かれているのが紅葉に鹿なのです。

ちなみに、この絵柄に描かれている鹿はそっぽを向いています。

実は、このことから無視するなどの意味を持つ「鹿10」→「シカト」が生まれたのです。(現代語っぽいですが、結構昔から使われている言葉みたいですね!)

イノシシと牡丹(ぼたん)

また、イノシシ肉の別名である牡丹は「唐獅子牡丹図」という絵に由来していると言われています。

この絵は金地に群青と緑青の2匹の獅子の姿が躍動的に描かれています。

そして2匹の獅子の横に、立派な赤と白の牡丹が描かれているのです。

獅子と猪は名前が似ていることから、イノシシ肉は牡丹と結びつけられ「牡丹肉」と呼ばれるようになったのではないかと言われています。

また、紅葉(もみじ)の由来となった花札にも7月の絵札としてイノシシは登場します。

しかしここでイノシシと一緒に描かれているのは萩で、牡丹ではありません。

まとめ

狩猟採集時代から鹿やイノシシは日本人にとって重要なタンパク源でした。

仏教が国教となり肉食禁止令が出された後でも、鹿肉は法令外であったため貴族や天皇に愛されてきました。

しかし江戸時代に殺生そのものを禁止する「生類憐みの令」が下されます。

何とか肉を食べたい武家や公家は、肉は薬だとして肉を食べます。

このような「くすり喰い」の文化が生まれ、肉を薬として売り出す、ももんじ屋ができました。

ここで売られていたのは肉ではなく薬という建前なので、そこで使われた商品名は「紅葉(もみじ)」や「牡丹(ぼたん)」となった訳ですね。

それが今でも使われているというのは、何だかとても歴史を感じることだと思います。

このように鹿肉、イノシシ肉は昔から日本人に親しまれてきました。

しかし今では牛や豚に置き換わり、これらは食べ慣れないものとして敬遠されるようになりました。

現在は、需要がないという理由(その他、課題は多々ある)から、捕獲された野生動物の多くが食肉とならずに処分されているのが現状です。

捕獲した資源を有効活用するためにも、親しみを持って鹿やイノシシの肉を食べる人が増えればと願っております。

この記事を読んで紅葉肉や牡丹肉に少しでも親しみを持っていただければ幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

ABOUT ME
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あかりんご
神戸大学農学部4回生。休学中。大学から畜産の勉強を始めるも、畜産の諸問題に直面し、日本で持続可能な「かっこいいお肉」を探し求め、鹿肉に出会う。日本の森で生まれ育った鹿を「和鹿」と名付け、鹿肉の利用率100%を目指し奮闘中。和鹿推進サークル み じ か 代表。