大学を卒業し鹿肉で起業した24歳のあかりんご。ひょんなことから北海道の鹿解体施設で鹿を捌きまくることになり、大阪から単身で北海道へ。彼女は一体、北海道で何を思う…。
前回のあらすじ:鹿の解体で失敗しつつも前に進んでいくあかりんご。鹿!鹿!鹿!な毎日に突然やって来たのは、170kgのヒグマだった…。
「ヒグマが来てるよ」
今日は午後の番だった。
お昼すぎに休憩所へ到着した。
お疲れ様です!
…なんだか皆の様子がおかしく、何やら騒がしい。
…どうしたんですか?
ボスはニヤリとしながら言った。
ヒグマが、来てるよ。
ヒグマ!?!?
北海道初日でヒグマの頭とご対面したが、まさかここでも会うとは…
作業室をおそるおそる開ける。
そこには、黒い大きな塊が横たわっていた。
これが…ヒグマ…!!!
あなたには敵いません
ドーン!と音が聞こえそうなくらい大きなヒグマは、今にも動きそうだった。
わたしは怖くて近づけない。
もう息絶えているから、大丈夫。
はい…。
一歩、一歩、おそるおそる近づく。
見えなかったヒグマの顔や、毛の流れなどが見えてきた。
ヒグマは眠っているような、安らかな顔をしていた。
今にも目を覚まして「おはよう」と言いそうな。
鹿とは違い、目は閉じていた。
そして視線を手に移した時、わたしは息を呑んだ。
す、するどい…!!!
爪は5センチをゆうに超え、先は鋭く尖っている。
5本の指すべてに長い鋭い爪が揃っていた。
じゃあ、上げていきます。
ヒグマの首部分を引っ掛けて、ウインチで吊り上げていく。
ウィィィィィィン
頭が吊り上がっていき、まるでヒグマが立ち上がっていくようだ。
わたしの身長を超えても、まだ上がり続ける。
ガシャン!!
ウインチの巻きが最短になった付近で、ヒグマが立った状態になった。
デカい。デカすぎる。
身長は180…いや、190だろうか。
体重は170kgで、3歳くらいになるそうだ。
ニュースでヒグマに襲われて…とよく聞くが、これは、あかん。
ヒグマが風をはらりと払うそのパワーで、わたしの顔面は吹っ飛ぶでしょう。
それほどヒグマは大きく、爪は鋭く、そして生物としての強いオーラがあった。
わたしは人生で初めて、動物としての恐怖を感じたのだった。
もう、あなたには敵いません…
クマの手
ヒグマをじっくり観察させてもらったら、解体に入った。
わたしは一歩離れたところで、それを見ていた。
ヒグマの解体師さんはスルスルと大きなヒグマを解体していく。
いつも疑問がすぐ浮かびベラベラと質問してしまうわたしも、口を閉じてヒグマが肉になっていくのをじっと見守った。
ヒグマのお腹を開けると、すごい脂肪だ。
真っ白の脂を切ると、赤ピンクの肉が見えてきた。
毛皮の大きさに比して、肉部分はスリムだ。
シュッ、シュッ
ナイフを入れる音が、作業室に響き渡る。
手先までナイフを入れると、解体師さんはヒグマの手を取った。
ヒグマの手を食べるんですか?
調べてみると、ヒグマの手は高級食材だそう。
中国では珍味として「周の八珍」の一つ。
持ち帰って皆で食べるそうだ。
ヒグマの肉を食べたことはないけど、どんな味がするのか気になった。
はぁ…。
するとわたしの心を読んだかのよう。
解体師さんは「ヒグマの肉、持って帰る?」と言ってくれた。
ハイ!!!
内心ガッツポーズを決めた。
嬉しい。
わたしは手に袋を持っていつでも肉を受け入れる体制を整えつつ、解体を見守った。
ヒグマの焼肉
大きな塊だった。
鹿肉よりもずっと赤黒い塊。
ヒグマの解体師さんにもらった、ヒグマのロースである。
本当はもも肉をもらう予定だったのだが、ご好意で高級部位のロースをくれた。
ありがたい…。
仕事が終わったのは22:00だった。
そこから帰宅し、秘密のクッキングが始まった。
さぁ、どうやって食べようかなぁ!
と、わたしは重大なことに気が付く。
包丁がない。
引っ越してきたばかりのわたしの家には、包丁がなかった。
さてどうしよう、と目についたのはハサミ。
ハサミに暗示をかける。
お前は包丁、お前は包丁だ。
スッ
シュッ
スパッ
切れた!!!!!!
包丁はいらなかった!(買いなさい)
それを豪快にフライパンへ。
8時間の鹿の解体を終えたわたしの脳みそは調理という行為を忘れてしまったようだ。
焼いて、そのまま。
これが一番うまい。
焼けたヒグマの肉は、肉汁が滴り落ちてテカテカだ。
いざ!
口に運ぶ。
…おっ
…おっ??
うまーい!!!!!!
ヒグマと聞くと獣臭さが目立ちそうだが…めちゃくちゃうまい!
クセはほとんどなく、柔らかな肉質とたっぷりの肉汁が口の中に溢れた。
思ってたのと違う!!!
世界がまた一つ、開いた瞬間だった。
ヒグマ肉のお弁当
ヒグマの焼肉に感動した前夜。
まだまだヒグマのお肉はある。
今後はしばらくヒグマ肉のオンパレードになりそうだ。
焼肉の次は、カツを作ってみることにした。
カツにしとけばもう間違いない!ってとこあるよね。
バッター、パン粉を付けて油で揚げ焼きに。
完成。
いざ、実食。
サクッ、じゅわ〜
うまーい!!!!!!
本当にびっくりするくらい臭みがない。
牛や豚よりクセがない。
お前、それでいいのか?というくらい他の調味料と協調している。
そんなヒグマのギャップに、キュンとしてしまう。
肉は赤身で脂はなく、ぺろっと平らげてしまった。
次は昼ご飯のためのお弁当を用意しよう。
ヒグマの肉を厚く切り、フライパンに並べる。
中火で表面を焼き固めたら、ニラを入れた。
ニラの水分で蒸し焼きにするように、蓋を閉める。
食材に火が通ったら取り出し、ヒグマ肉を食べやすい大きさに切った。
味付けは醤油とみりんでシンプルに。
事前に作っておいた、他のお料理と一緒に詰めれば、完成!
隣にヒグマ肉のニラ炒めが入っているなんて、キャロットラペもびっくりである。
女子力が高いのか低いのか分からない弁当を片手に出勤する。
早めに解体所に着いたので、お昼ご飯代わりに弁当を食べていた。
すると先生が休憩室へやってきた。
何食べてんの?
ヒグマのニラ炒めです。
……
…?
…ちょっとちょうだい
しゃーなしですよ
普段は保守派の先生が、ヒグマ肉に挑戦するとは。
先生はおそるおそる、ヒグマ肉を口に入れた。
……
お口に合いますか?
おいしっ
その顔に笑顔がこぼれ、わたしはホッとした。
本当にクセがないね、美味しいですよね、なんて会話を交わしながら、ヒグマのお肉を大事に食べた。
美味しいね、ということ
北海道で生きているのは人間や鹿だけでない。
ヒグマをはじめ、鳥さんや虫さんなど、生態系としていろんな生物が獲って獲られて。
その関係性の中に、美味しいね、がある。
ヒグマを食べたわたしと先生のように。
「もっと、美味しいね、を増やしていこな。」
そう、言われた気がした。
ヒグマはそんな大切なことに、気付かせてくれた。
わたしはさっきより強く、ヒグマのお肉を噛み締めた。
続くー