大学を卒業し鹿肉で起業した24歳のあかりんご。ひょんなことから北海道の鹿解体施設で鹿を捌きまくることになり、大阪から単身で北海道へ。彼女は一体、北海道で何を思う…。
前回のあらすじ:鹿だけでなく、ヒグマも食べてみたら…めっちゃ美味しい!自然の恵みを改めて感じたあかりんごは、改めていのちに向き合うことになる。
解体所での一日
わたしの朝は早い。
バッと目が覚めると、朝の3:55である。
ふふん…
うむ、今日も目覚まし5分前起床だ。
北海道は7月。
でも夜は毛布を着なければ寒くて眠れない。
布団の中で足首を回したり、伸びをしたりして体の具合をチェックする。
解体を始めてからは、手が半分丸まった状態で起きることが多くなった。
手を使いすぎて硬直してるような、そんな状態。
手の筋肉痛…とでも言うのだろうか。
グッとゆっくり指を曲げ伸ばしする。
身体中が痛い、筋肉痛だ。
鹿の解体は全身を使う。
かつわたしは初心者で力が入りやすいので、指や腕、背中など全身が痛い。
白湯を作っている間、顔を洗って歯を磨く。
そしてコップいっぱいの白湯を飲み、胃腸を起こす。
ボーッと、今日はどんな1日になるだろうと考え、頭も起こす。
……
昨日、先生からもらったアドバイスを思い出す。
「今日はナイフを握る手の力を抜こう」とか「絶対に肝臓を傷つけないぞ」とかを考えて、シュミレーションを行う。
これがわたしのモーニングルーティーン。
地味すぎる。
4:30になると、さて出発。
解体所の朝も早い
解体所の朝も早い。
解体所には搬入時間がある。
鹿を受け入れられる時間帯のことである。
それは日の出30分後から日没30分後まで。
なので朝番になるとお仕事は5:00から始まる。
4:45には解体所について、わたしの朝ごはんタイム。
週末に作り置きしていたおかずを適当に温めて、ご飯と一緒にかき込む。
今日の朝は豚生姜焼きとジャガイモのツナ和え、鹿肉のしぐれ煮。
茶色い弁当、だがそれでいいのである。
解体は体力勝負!
解体を始めたころはカップラーメンや菓子パンを食べたりしていたけれど、それを食べたあとはまるっきり動けなかった。
我ながらびっくりしたが、食べるものがパフォーマンスに影響を与えるなんて、思ってもみなかった。
ガラガラガラガラ!!
そんなこんなをしているうちに、鹿が来た!!!
残ったおかずを口に放り込み、解体が始まる。
その様子はさながら救急救命医のようで、昔見たドキュメンタリーを思い出す。
解体所の朝が早い理由
猟師さんは牧場や採草地に出てきた鹿を銃で狙う。
罠がメインの本州とは異なり、ここは北海道ならではなのかも。
よって鹿の生活リズムが狩猟に深く関わってくる。
鹿は深夜〜明け方にかけて、そして夕方の日没付近にも出てくる。
それ以外の時間はどこへ行っているのやら。
山の中へ帰っていくのでしょうか…?
搬入頭数が多い日だと、朝の搬入だけで10頭以上になることも。
頑張ってスピード上げて解体するが、どんどん鹿は運ばれて来る。
あっという間に床は鹿で埋まり、足の踏み場もないことも。
鹿が入ってきたら、解体して、内臓を分けて、もも肉はフックにかけて冷蔵庫へ。
これを繰り返す。
7月でも朝晩は冷えるので、手先が冷たい。
ハーッと息を吐くと、白い煙になって上がっていく。
解体している鹿からも、白い煙が上がっていく。
鹿の体温は40度近くある。
内臓を触るとまだ温かい。
ちょっと肌寒いと思いつつ鹿を捌き始めて、ふと窓を見ると…
神々しく入ってくる日の光。
ファーっと音がしそうなくらい、まっすぐだけど柔らかい光。
鹿、煙、わたし。
この瞬間がわたしは本当に大好きで、いつもジーンと感動する。
解体所での一日
解体は10時ごろに一段落する。
そこから1時間は休憩。
お昼ご飯を食べたり、ちょっと昼寝をしたりする。
グゥ…
解体が終わったら、もう仕事は終わり?
いえいえ、何をおっしゃいますか。
解体で分けたお肉は、あくまでも大きく分けただけ。
ここから精肉作業に入ります。
精肉は、解体でできたもも肉を、さらに細かい部分へと分けていく作業。
もも肉を構成する4つの部位に分け、それぞれ出血部位や脂肪を取り除いていく。
内もも、外もも、しんたま、すね肉。
手順は決まっているけれど、左右の足でナイフの入れ方が反転するので、ちょっとこんがらがる。
朝捌いた鹿のもも肉から、骨を抜いて部位に分ける、を繰り返す。
そんな精肉作業のさなか…
ガラガラガラガラ!!
!!!
この時間には珍しく、鹿が搬入されてきた。
いつも通り、手順に従い鹿を受け取ろうとすると…鹿が動いた!!!
まだ、生きていたのだ。
生きたままの鹿が搬入されてきた
基本的に、鹿は絶命した状態で運ばれてくる。
しかし絶命したと思ってもまだ息がある個体も、ごく少数だがいるそう。
鹿が横たわっている。
首を後ろに反らせて、鹿は座っていた。
反らせた頭を持ち上げるようにして、力を入れ起き上がろうとしている。
意識があるのかは分からないが、目はぼんやりとしていた。
目を逸らしたい気持ちと、逸らせない目。
心と体が乖離しているようだった。
すかさず先生が胸元にナイフをさす。
心臓近くの血管を切って放血するのは畜産のやり方だ。
血管が切れたのか胸から赤黒い血が溢れ出てきた。
キューーー!!
鹿は鳴いた。
断末魔とはこのことかと思った。
しかし想像よりも音は高く透き通っていた。
先輩は前足を屈伸させて血抜きをしている。
鹿の首は動かなくなった。
だが後ろ足は曲げたりのばしたりしている。
空を蹴るように、鹿は足を動かす。
まるで、草原を走っているかのようなそんな動きだった。
必死に、逃げようと、森へ帰ろうとしているのかもしれない。
次の瞬間、その足がぴんと張る。
全身の筋肉が硬直しているようなそんな感じだった。
そして細かく痙攣している。
頭や足だけでなく、しっぽを含め全身がプルプルと細かく震えていた。
そして、ゆっくりと重力に従って落ちていく。
静かに、ゆっくりと、落ちていく。
鹿が最後に、ブンッと首をのけぞった。
鹿の背後に立っていたわたしは、鹿と目が合う。
雷に打たれたようだ。
世界はわたしと鹿だけになる。
わたしは目の中にある心を見ようとした。
何かを訴えているような目ではなかった。
むしろ、託されたような気がした。
ピンと張っていたしっぽが完全に床についた時、鹿は息絶えていた。
目は合っているが、そこに鹿はいなかった。
しばらくボーッとしてしまっていたみたいだ。
先生の掛け声で、わたしは仕事に戻った。
解体のしごと、生きていた鹿
解体をしていると、息絶えた鹿と対峙することがほとんど。
体の表面は冷たく、目には光がない。
だから生きている、動いている鹿を見て、わたしは驚いた。
鹿に、ではない。
自分の変化に。
解体する鹿が、今さっきまで生きていたことなんか忘れていたのだ。
上手く捌けるか、どこを撃たれているか、効率よく解体するには…
いのちを扱う仕事に分類されるであろう鹿の解体。
でもわたしは、解体を始めて1週間ほどでもう、一番大切なことが頭から抜け落ちてしまっていたようだ。
いのちの向き合い方は人それぞれだし、向き合うべきかどうかも分からない。
でもわたしはその問いすら、忙殺されていたことに気付いた。
解体所に差していた光は、雲の影にかかる。
温かい光が、ゆっくりと、薄く、なくなっていく。
その情景に鹿の目を重ねながら、解体所にはまだ白い煙が立ち込めていた。
続くー