こんにちは!
あかりんご(@akaringo252588)です!
時はさかのぼり平安時代…
鹿皮は、仏教の修行において必須アイテムだったんです。
また鹿角も、極楽浄土へ行くための証として用いられました。
今回は、そういった宗教と鹿アイテムとの関係について、紹介していこうと思います!
鹿皮は修行の必須アイテム
日本では古くから、山岳が神や仏の力を宿すものだと考えられていました。
奈良時代以降、仏教や道教といった宗教の影響で、こういった山岳での修行を行う者が出て来ました。
彼らは山岳での修行をして力を身に付け、呪術(ジュジュツ)を行いました。
呪術とは、神や精霊などに働きかけ様々な願望を叶えようとすることです。
こうして強い願いを持った者たちは白い服を身にまとい、険しい山道を歩き、滝に打たれるなど様々な修行を通じて身を清めました。
そして山を出ると同時に生まれ変わり、呪術者として活動したのです。
鹿は仏教聖者の乗り物だった
平安時代になると、最澄や空海などの山岳仏教を提唱した僧が現れました。
こういった人物の影響もあり、僧たちは山岳で修行をするようになります。
山岳での修行は、山岳信仰と融合し修験道という宗教へと進化していきました。
山岳への畏敬が、宗教にも深く関わっていたんだね!
その過程で、色々なルールが細かく決められていきます。
修行の時の衣装や儀礼の方法、そして修行に持っていく修験十二道具です。
簡単に言うと、持ち物リストだね!
このうちの一つ引敷(ヒッシキ)があります。
引敷は、腰に当てて座る時などの座布団がわりにする皮のこと。
この引敷が、なんと鹿革だったのです。
ちなみに止むを得ず鹿革以外の皮を用いた場合でも、修行で用いれば鹿の皮とみなされました。
なぜ鹿皮にこだわって規定されたの?
これは何故かと言うと…
小乗仏教の聖者である緑覚(えんがく)の乗り物とされたのが鹿だったからです。
修行に鹿の皮に座ることで、より仏の真理に近付くことができると考えられていたのです。
そうした宗教的な理由に加え、鹿皮の表面は防水効果もあります。
濡れた砂や石の上に座る時にも水が染みてこず、鹿皮は実用的だったのです。
鹿角は極楽浄土への許可証
鹿皮は山岳での修行に必須だったということですが…
実は、鹿角にも宗教的な歴史があります。
それが記されているのは、平安時代後期に成立した日本最大の説話集「今昔物語」。
今昔という名前は、この物語に入っている話がどれも「今は昔」で始まることから付けられたよ!
ここに書かれている話の中に、餌取法師の物語があります。
餌取法師と呼ばれている法師は、仏教では禁じられている肉食を行っていました。
とても貧しく、死んだ馬や牛のお肉を食べないと生きていけないからでした。
しかしその法師は肉食を行ったあと、丁寧に念仏をあげます。
その法師の家に泊まった男は、初め肉食に驚きますが、念仏を唱える法師の姿に感銘を受けました。
それを法師に伝えると、法師は「私が死ぬ時にはあなたへお知らせに行きます」と言い、男は法師の家を去りました。
数年後、男は夢を見ました。
夢では法師が極楽浄土へ行けたことを男に報告していました。
夢が覚めた男は法師の家に行きましたが、法師は念仏を唱えながら亡くなったと妻が言いました。
こうしたお話から、肉を食べても念仏を唱えれば極楽浄土へ行けることが分かったのです。
これを信じる法師は、殺生をしても極楽へ行くことができるということの印として、鹿杖(カセヅエ)と呼ばれる杖を持ち歩きました。
この鹿杖は、持ち手に鹿の角を付けた杖です。
このように、一部の僧は鹿角を飾った長い杖を手にして歩き回り、民間に対して布教を行っていたのです。
鹿と日本人の関係は深くて長い
鹿は首がすっと長く、見つめられれば目が離せないような不思議な力を持っています。
そんな不思議な力が、ある時代では仏教と結びつき、修行に必要なアイテムとなったり、僧が持ち歩く杖となったのです。
日本では縄文時代から鹿が野生に生息しており、日本人との接点も様々です。
こういった宗教的な側面から、鹿と日本人の関係を思いはかるのもまた、面白いですね!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
- 日本ではタケミカヅチという神様の乗り物である鹿が神様の使いとして崇められ、奈良公園では保護されてきた。
- 仏教の世界では鹿は小乗仏教の聖者である緑覚の乗り物とされ、鹿皮の上に乗ることは仏の真理に近付くことだとされた。
- 鹿角を飾った杖も極楽浄土に行くという証として取り入れられた。