ジビエをもっと、あなたらしく。
ジビエを食べる人、つくる人、届ける人。 すべての人に、エールを。
ジビエ関連書籍

畠山千春さんの「わたし、解体はじめました」を読んで。

こんにちは!あかりんごです!
畠山千春さんの「わたし、解体はじめました」を読みました。


この本では…


畠山さんが狩猟や解体を通じて暮らしを作っていく。その過程が畠山さんの言葉で分かりやすく書かれています。

私も、普段からジビエ(鹿)に関わる学生活動をしているし、同じ女性として、
もともと興味を持っていたので、読んだ感想をまとめてみたいと思います!

畠山千春さんとは?

猟師・ライター。1986年生まれ。

東日本大震災をきっかけに大量生産・大量消費の暮らしに危機感を感じ、自分の暮らしを自分で作るべく活動を始め、動物の解体を学ぶ。その後、福岡県糸島市へ移住し。2013年、狩猟免許取得。

現在は狩猟活動のほか、鶏などの解体ワークショップを開催。

また、食べもの・エネルギー・仕事を自分たちで作る「糸島シェアハウス」を運営。

https://twitter.com/chiharuh/status/1154399187531792384?s=20


シェアハウスの様子。楽しそうです!

効率重視、「結果」が集まる都会で、食を問い直す。

大都市にいるとすべてのスケールが大きくなって、物事の最初から最後までがちゃんと見えません。
何よりも効率が重視され、出来上がった「結果」だけが遠くから運ばれてきます。

きっと暮らしの中には、もっといろんな感覚があるはず。
ゆっくりでもいいから、暮らしの中のいろいろなことをまず自分でやってみて、自分の体で感じて、自分の頭で考えて、生きていたい。


感覚のない人生なんてつまらない。

畠山千春「わたし、解体はじめました」p22〜23より一部引用

都会暮らしって、長距離走だと私は思います。

みんな、何かに向かって走っている。

私だったら、朝6時に重い体を無理矢理に起こして学校へ行き、帰ったら19時。
夜ご飯を食べてお風呂に入って、Youtubeをダラダラ見て寝たらまた朝が来る。

こういった生活に、狩猟や農業を組み込める人はほとんどいません。

だから都会には、マラソンに給水所があるように、食べ物を渡す人がいて、ゴミを回収し処理する人がいる。

一生懸命走っているときは、自分がつまらない暮らしを送っているなんて思う人はいません。


ただ、人生の選択肢はランニングコースだけではないというのが、この本最大のポイントなのではないかと私は考えています。

引用したこの文章は、効率を求められる都会で小さな違和感が積もり、擦り切れていると感じたとき、畠山さんのように、途中でランニングコースを外れてみるっていう選択肢もある、という都会人へのメッセージなのではないでしょうか。

コースを外れた脇道からは給水所の裏側(つまり、生産現場)が見える。
それに伴い、暮らしの中で生まれる感覚も増えていくということを畠山さんは実感したのだと思いました。

新米猟師の暮らし

本書第3章のタイトルは、「狩猟〜生きものとのやりとり〜」です。

内容は多岐にわたり、師匠との出会い、自分で罠を仕掛けイノシシを獲る、アナグマなどの小動物の解体など。

猟師としての成長の過程が主観的に描かれています。

特に、罠にかかったイノシシと対峙するシーンは緊迫感が伝わってきて、ページをめくる手が止まりませんでした!

狩猟を経験し、畠山さんは狩猟をする理由の一つとして、このように述べていました。

私が狩猟をする理由の一つに「自分の中で生きものとの関係性をちゃんとつくりたい」という気持ちがありました。

命への敬意や供養の気持ちや感謝は、山で獣を追うという、自分とその生きものの関係性の中で育まれるものだということ。

畠山千春「わたし、解体はじめました」p140より一部引用

狩猟は獣を追って捕獲する際、狩猟者にも危険が伴います。
興奮したイノシシに突進され、失血死してしまうこともあるのです。

獲る者、獲られる者。

両者ともに命をかけて臨むからこそ、自分が生かされていることに気付く。

都会人の私には想像のつかないような命のやりとりの現場に狩猟の奥深さを感じました。

食を通して、生きるを哲学する。

解体は、命の現場に立ち会うことで、自分の身の丈を知る機会にもなると思います。

「足るを知る」ことは、とても大切。

何でもすぐ手に入って、欲望ばかりが先行する暮らしをしていたら、どれだけモノが手に入ってもいつまでも満足できないのではないでしょうか。

畠山千春「わたし、解体はじめました」p45より引用

この言葉には胸がチクっとしました。

私の生活において、休みの日にはショッピングセンターに行き、本当に欲しいのかと聞かれるとそうでもない、そんな服や食べ物を買うのが楽しみでした。

それが楽しいのだと、思い込んでいたのかもしれません。

ただ、今までの生活に、私はどこか満たされない思いを抱えていたのも事実です。

都会に住んでいる方は、同じように考えている方もいるのではないでしょうか?

高年収の仕事に就きたい、たくさんものを買うことは幸せ、学生の醍醐味は海外に行くこと、大企業に就職したら人生の勝ち組…これは全部、「誰か」が決めた価値観なのではないかと思うことがあります。

本書での「足るを知る」ところの意味は自分が食べる必要のあるお肉の量を知る、ということですが
これは人生観にも当てはまる考えだと私は考えます。

自分が何に満足するのか。どれくらいで満足するのか。
時間とお金を何に使ったら一番「幸せ」「楽しい」と感じるのか。

大事なのは、選択肢を自分で選ぶこと。

そのためには、まず自分を見つめ直すこと。

欲しい物はスーパーやショッピングモールにある、と思いきや、実は自分の中にあるのではないでしょうか?

欲望の解消である「消費」に気付き
自分で決めた自分の豊かさのためにお金を払う、時間を使う。

これは、「投資」の始まりであり
自分を本当に満たすための第一歩なのだと思うのです。

豊かさってなんだろう…

私は現在大学3回生です。

周りの学生には就活を始めている人もいます。

ただ、私は「さあ就職!大手企業!高収入!安定!」
と急かすような流れに疑問を抱いています。

大学に入ったら大手企業に入るか公務員になると決まっているのでしょうか?

酪農や畜産に興味があるといったら
「大学まで行ったのに大企業に行かないなんてもったいない!」
なんて言われることもあります。

でも、何がもったいないのかよく分かりませんでした。


時代によって、「豊か」の定義は変遷します。

食べる物がいっぱいある。
子どもがいっぱいいる。
テレビや冷蔵庫がある…。

物が溢れている今現在、「心の豊かさ」、すなわち自分で定義する幸せを満たせるかというのが重要なのではないかと私は考えています。


私の場合、「暮らし」がなければ狩猟もないのです。

私がこれまで猟師を訪ねて一番惹かれたのは、狩猟そのものというよりは、命とともに生き、その命を最大限にいただく彼らの豊かな「暮らし」だったのです。

畠山千春「わたし、解体はじめました」p147より

自分の幸せは自分で定義する。

暮らしは自分で選べる、何度でも。

そうやって、畠山さんは今の生活を選んだ。

さぁ、私はどうしようかな。そんなことを考えさせてくれる本でした。

こんな方にオススメ!

・狩猟に興味があるけど、女子でもできるの?と思っている方

・「食」について興味はあるけど、何から始めていいか分からない方

・丁寧な暮らし、田舎でのリアルな暮らしを知りたい方

本書では、女性ながらも狩猟に一生懸命取り組む畠山さんの姿勢を見ることができます。

野生鳥獣との付き合い方など、リアルな心情などに触れられているので、背中を押してくれる一冊だと思います。

また、見学できる屠畜場や食肉加工施設や解体ワークショップを行う団体がまとめられていますので、興味のある人は実際に足を運んでみるきっかけにしてもいいですね。

畠山千春さんのブログはこちら

ABOUT ME
あかりんご
鹿肉専門のキッチンカーSHIKASHIKA店長。神戸大学で畜産を学び牛飼いを志すも「日本で持続可能な肉とは?」という問いをきっかけに、鹿肉と出会う。鹿肉を日本の肉文化に、をビジョンに掲げ、美味しい鹿肉料理を日々提供していたが、より美味しい鹿肉を求めて現在は北海道で鹿を捌いている。