ーこれは、あかりんご(@akaringo252588)という1人の女子大生が、1匹の鹿を獲るまでの物語であるー
サークルを立ち上げてマルシェに参加することにしたあかりんご。初めての出店で分からないことだらけのあかりんごは、無事マルシェを成功させることができるのか…!?
5-1
私は学校の自習室で、A4のコピー用紙にマルシェに必要な準備や備品について書いていきました。
頭の中には、かんかん照りの太陽と飛ぶように売れる鹿カツが浮かんでいます。
どんどんと筆を進めて、ついに出店する「まるまるしぇ」の出店案が完成しました。
お店に出店する、というと作って売るだけというように思っていました。
しかし出店のためには予想以上に準備が必要だということが分かります。
かんかん照りの太陽はギュンと曇ってしまい、自習室で設定されている冷たいクーラーの風がス〜っと流れてきました。
これは、急がないといけない。
私は少し冷たくなったスマホを持ち上げ、LINEを開き狩猟Pと書かれたグループにある投稿をしました。
試作会を兼ねて、ジビエパーティー第2回を開催スル!
出店するのは鹿カツ!
まるまるしぇ出店に向けて、いろいろな調理法を試しましょう!
以下の日程調整に答えてください!
試作会の日は、6人くらいのメンバーが集まり公民館のキッチンスペースで行いました。
お昼前に集まった狩猟Pのメンバーは、まだ鹿肉のブロック肉には慣れていない様子でつついたりしています。
それを横目に微笑みながら、私は近くのホワイトボードにその日の予定を書き込みました。
「ほな、まず筋取りからやろか!」
解凍してあった鹿肉のブロックに包丁を入れて、私は筋の取り方を丁寧に教えました。
すると後輩は心得たようで、真剣な顔つきでシャーっと包丁を入れて肉を捌いていきます。
「りんごさん、これって筋ですか?」
そんな会話を重ねながら、包丁の上には綺麗に柵状に切られた肉が積まれていきました。
それを串に刺していくのは私の仕事でした。
マルシェはお祭りのようなもので、食べ歩くのが一般的です。
なので鹿肉を串に刺して販売しようと私は決めていたのです。
ですが串に刺すことを決めても、一本の串に何gの肉をどうやって刺すのかは原価や労力と相談しなければなりません。
「やっぱり同じ重さでも広く薄く切るとお得に見えるなぁ…」
「あ〜ほんまや!確かに。」
「ほんなら、解凍の具合を半解凍くらいにしてなるべく薄く切った方がいいっすね!」
「そうなると前日のどのタイミングで鹿肉を溶かし始めるんかが難しいですよね…」
そんな会話を重ねながら、串の刺し方がようやく決まりました。
しかし、実は考えなければならないのはこれだけではないのです。
一番重要な、「加熱処理」が残っています。
やはり肉類は最も食中毒の危険がある食材です。
ましてや自分たちが広めたいジビエ肉で食中毒を起こしてしまったら、狩猟Pだけでなくその業界全体への影響が出てしまいます。
徹底的な加熱処理、かつ美味しさも損なわない調理法を開発する必要がありました。
そこで私たちは、油の温度や衣をいくつかのパターンで実験することにしたのです。
買ってきた中心温度計を油につけ、温度を測ってから衣をつけた鹿カツをサッと入れます。
シャワ〜!っと心地いい油の音を聞きながら、狩猟Pのメンバーは息を飲んで油の中を見つめていました。
2分経ったところで、私は数本のうち一本を救い上げ、その中に中心温度計を刺しました。
食中毒が起こらないようにするためには、食品の中心の温度が75度以上の状態で1分以上加熱することが必要だからです。
「65度…全然あかんな」
こういう作業を繰り返し、入れ始めの油の温度と揚げ時間、そして中心温度を記録していきました。
実験のような作業を繰り返し、私たちはある結論にたどり着きました。
それは、170℃で3分半。
本番を想定した油の多さや串の本数も考慮しつつ、出された答えでした。
やはり安全で美味しいジビエを提供するには、ここまでやる必要があると私は思うのです。
ジビエの看板を背負って、お金をとって鹿カツを売るということが、当時の私にとってはとても嬉しいことでもあり責任感を感じることでもありました。
方法が決まれば、あとは狩猟Pのメンバーが作業に慣れるだけです。
私たちは本番のマルシェを想定したシュミレーションをしながら、どんどんとジビエパーティー用の鹿カツを揚げていったのでした。
5-2
前回のジビエパーティー同様、たくさんの顔がこちらを向いていて私は少し緊張してしまいます。
顔がこわばらないように大きく息を吸って、私はジビエ料理の説明を始めました。
「こちらを、まるまるしぇというマルシェに出店しようと思ってます!」
こう言うと、私に向いていた顔が一斉に鹿カツに引き込まれていきました。
皆はいただきますと合わせた手を解くのと同時に、鹿カツに手を伸ばします。
口をモグモグさせながら、1人の学生が聞きました。
「りんごさん、これ何円で売るんですか?」
「おっ…」
私は一番大事なことを忘れていました
それは、値段です。
原価などから値段を計算することはできますが、それが安すぎても高すぎても売れません。
その商品の価値を示す値段が不相応では、どれだけ鹿カツが美味しくてもいけないのです。
「う〜ん、やっぱり鹿は珍しいから、1本300円とか?」
「え!!これだけで300円!?」
「ちょっと高いっすよ〜!」
一般的な人は鹿の珍しさをあまり認知していないから、安く売った方がいい。
そんな声が多く、私もそうかと思い値段は250円にしたのです。
後から思えば、これは安すぎる値段だったと思います。
少し買うのをためらうような値段設定、つまりもう少しだけ鹿カツを大きくして400円でも良かったのではないかと、今では悔みます。
買うかどうか迷って迷って、うーんでも食べてみたいし!と財布の口を開けるのはお金を使ってくれる人にとっても一種の喜びなのではないでしょうか。
5-3
まだ少し冷える秋の朝、私たちは出店のレイアウトを飾り付けながら肉の下準備をしていました。
初めてのマルシェ。
私はドックン、ドックンとうるさい心臓をなだめるように大きく息を吸い、吐く息に混ぜてよし、とつぶやきました。
シュミレーション通り、狩猟Pのメンバーは淡々とそれぞれの作業をこなし、時計の針はマルシェの開始時間にどんどん近付いていきました。
そして販売開始30分前、全体ミーティングがあり参加者は円になってその日の成功を願いました。
他には地域の野菜、自分たちで作った蜂蜜、ジャムなどを販売している店が軒を連ねています。
全体ミーティングが終わり、太陽がばらつく雲の間から顔を見せました。
これは鹿カツも飛ぶように売れる、そう確信した私は短く息を吐いて、自分たちのテントへ向かいました。
そして、鹿カツを揚げる準備をするため発電機を作動させるよう指示した私。
狩猟Pのメンバーは発電機のレバーを引っ張って、動きを止めました。
「りんごさん、あの…」
その続きを聞いた私は、耳を疑いました。
念入りにシュミレーションして作り上げた当日のマニュアルが私の手からポロっと落ち、パラパラと風に揺れています。
ーまだ、鹿は獲れていないー