こんにちは!
大学で畜産を勉強している、あかりんご(@akaringo252588)です!
日本では鹿が野生動物という位置づけですが、実は世界では家畜として鹿を飼育している国もあります。
今回は、そんな海外の鹿事情を時系列でまとめていきたいと思います!
まずは日本の鹿事情、そして中国、そしてロシア、最後にニュージーランドです。
日本では養鹿文化は根付かなかった
それでは海外の事例を見ていく前に、日本の養鹿事情について説明します。
養鹿(ようろく)とは、鹿を牧場で飼育したり繁殖させることです。
今では養鹿を行っている牧場はわずかしかありません。
日本で最初の養鹿場は大正時代に観光用として建てられました。
それから肉生産や鹿茸の生産を目的として1960年代から本格的な養鹿がスタートしたのです。
このように日本では養鹿産業の育成段階でBSEが発生したことにより、養鹿文化は根付かなかったのです。
日本の養鹿の歴史をもっと知りたい方は、こちらの記事がオススメです。
それでは次に、海外の事例を見ていきましょう。
伝統的な中国の鹿茸生産
中国の養鹿の始まりは、観賞用として清時代の皇帝が始めたとされています。
初めは狩猟用にも用いられたそうですが、1773年頃から家畜として飼育するための順化を開始したと言われています。
このように、中国では昔から養鹿が行われていました。
それでは何のために鹿を飼っていたのでしょうか?
これには、漢方が深く関わっているのです。
中国では鹿茸(ろくじょう)というものが漢方薬として利用されていました。
鹿茸とはオスが持つ、皮膚の覆われた状態である角のことです。
この鹿茸はこのような効果があると言われています。
- 心臓機能を常態に改善
- 消化器官系統の機能保温
- 腎臓機能の促進
- 筋肉の疲労回復
- 精力増進
たくさんの効用があり効果も高いことから、鹿茸は最強の漢方として重宝されてきたのです。
そして中国ではこの鹿茸を生産するために、養鹿が行われてきました。
中国の鹿飼育頭数は1940年代には約1000頭に達し、1952年には研究所と連携して養鹿技術の向上を図りました。
そして1970年には国策として鹿茸の増産が推奨され、鹿茸生産に特化した養鹿技術が高められていきました。
そのため、ある程度人の手を加え人と共存できるように順化を行ったり人によく懐く個体を選抜したりといった育種も行われてきました。
このように、中国における養鹿は鹿茸を中心にしたものなのです。
ソ連の養鹿とチェルノブイリ原発事故
世界的に見ても、鹿肉生産のための養鹿はヨーロッパ、特にソ連で活発でした。
シベリアではトナカイの大規模な放牧が行われており、その数は23万頭にも及んだそうです。
その飼育方法は草地に放し飼いをするという極めて粗放的でした。
そして生産された鹿肉は主にドイツへ輸出されていました。
こうした状況の中で、1989年にチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故が起こりました。
その後、死の灰はフィンランドなど北欧のトナカイ生息地域やポーランドの鹿生息地域に降り注ぎ、放射性物質によって鹿肉が汚染されるという事態が生じました。
これによって西ドイツに出回る鹿肉の供給量は激減します。
イギリスの養鹿はここから始まった
これを見てドイツと深い関係にあったイギリスでは、輸出のための養鹿が行われるようになりました。
イギリスにある全英養鹿協会では、養鹿牧場どうしで情報交換ができる体制も整っています。
中国とイギリスの養鹿を比較すると、一つだけ違いがあるのが分かります。
それは鹿茸生産の有無です。
イギリスでは鹿茸の生産をしていません。
これは動物愛護の観点から決められたもので、オス鹿は鹿茸を切られると出血多量で死んでしまうリスクがあったからです。
このようにヨーロッパでは放牧をメインとした鹿肉生産が行われており、動物愛護の関係から鹿茸の生産を抑えている国もあるのです。
ニュージーランドの鹿問題と養鹿
チェルノブイリの原発事故を見て養鹿を成長させたのはイギリスだけではありませんでした。
イギリス同様、この事件をきっかけにニュージーランドでも養鹿が拡大していったのです。
それでは、ニュージーランドの養鹿について見ていきましょう。
ニュージーランドには哺乳類がほとんど存在していませんでした。
唯一の哺乳類はコウモリの仲間で、現在ニュージーランドに生息している家畜やペット、キツネなどは人間が持ち込んだものです。
そして鹿も狩猟用として持ち込まれた動物の一種でした。
ニュージーランドで有名な羊も、人間が持ち込んだんだね!
1800年代に導入されたのはアカシカとニホンジカ。
しかし予想以上にアカシカが繁殖し、ニュージーランドに住むアカシカが何十万頭にも増えてしまったのです。
そしてだんだんと、増えすぎた鹿たちが環境を破壊するようになりました。
そこで1934年から公共事業として、アカシカの大規模な駆除が行われたのです。
ですがニュージーランドの地形は複雑で狩猟による駆除には限界がありました。
結局、鹿の数は増えたり減ったりを繰り返し、30年間の駆除事業は思うような結果を残せずに終わってしまいました。
駆除が無理なら養鹿だ!
その後、1960年には民間の力で鹿を駆除しつつ鹿産業を盛り上げようという動きが高まりました。
その方法は何ともダイナミック。
ヘリコプターを飛ばしてネットガンで鹿を生け捕るという方法でした。
生け捕った鹿は柵を巡らせた牧場に放ち、そこでいいお肉が取れるように飼育をするのです。
こうした活動によって1967年には野生の鹿の数が減少に転じました。
そして1985年には家畜化に成功した鹿の飼育頭数が30万頭になったのです。
民間の事業によって狩猟による捕獲の約3倍もの鹿を家畜化することに成功したということになります。
それからは家畜専門家との連携を強化し、鹿を家畜として効率よく育てるための研究が進められました。
1970年には養鹿という産業が認識されるようになり、1980年には鹿は家畜だという認知が広まっていきました。
そしてチェルノブイリ事故によって、ニュージーランドの鹿肉需要は一気に高まります。
ドイツへの輸出枠ができたからです。
事故が起きた2年後の1991年には、牧場での飼育頭数が135万頭にまで増加しました。
このようにニュージーランドでは獣害対策の一環として養鹿が行われ、結果的に一つの産業にまで成長したのです。
さいごに
ニュージーランドや中国で養鹿が成功した理由を私なりに考えてみたのですが、やはり研究機関との連携は必要不可欠だと感じました。
ニュージーランドも、中国も養鹿が盛んになる前に必ず研究機関と連携し、効率の良い飼育方法や餌などについて研究を重ねています。
鹿はストレスを受けやすく飼育するのが大変だと言われますが、飼育に特別な技術が必要では養鹿は広まりません。
日本で養鹿をもう一度再興するには、日本に合った養鹿の技術を蓄積してマニュアル化していくことが必要だと感じました。
- 中国では鹿茸の生産を目的に養鹿が行われている。
- もともとソ連や北欧ではトナカイの飼育が盛んだったが1989年のチェルノブイリの原発事故によって汚染が鹿にも及んだ。
- ニュージーランドでは民間による鹿産業の立ち上げにより養鹿文化が盛んになった。